土地神話とバブルという言葉
私が初めてバブルという言葉に出会ったのは、1990年の4月頃でした。
中央線快速車内で飯田橋を通過した辺でした。なにか新しいセッケンの事かな?
という感じで電車の中吊り広告を眺めていたのを覚えています。
当時の私は、関西に本店のある中堅デベロッパーの東京支店に、営業として勤めていました。
まだ、20代の後半の頃です。
不動産バブルの崩壊は、不動産融資に対する総量規制という方針を、政府が打ち出したのが
原因だったという解説がなされて、当時の大蔵大臣の宮沢喜一さんは数年前のTV番組で
あまりよい政策でなかった。というような発言をされていましたが、営業の現場では
1989年の末には動きが止まりだしたように感じていました。
土地神話という言葉は、バブルという言葉より少し遅れて現れてきた言葉ですが、
1989年末には、首都圏の投機的な需要はあまりの高騰に、一段落せざるを得なかったようです。
神話にも限度があると、買い手側が感じたのでしょうね。
不動産取引を投機目的とした方々が、大きな負債を抱えてしまった事は、商売上先見の明がなかった。
というところに落ち着かざるを得なかったと思います。
しかし、土地の値段は下がる事はない。と盲信していた時代の中で、自らが居住のために高額な
物件を買い急いだ方々も数多く存在します。30年ローンを1990年に組んだ方は、今年でやっと
返済期間の半分が終わったところです。
30年ローンで思い出したのですが、当時 親子3代100年ローンをいうキャッチフレーズで
不動産担保ローンを受け付けていたノンバンクがあったのを思い出しました。
実務の上で関わりを持った事はありませんでしたので、実際のローン契約の内容は定かでは
ありませんが、1990年からだと、あと85年の返済が残っている計算になり、
元利均等払いだとすれば、元金は15年で数十万円しか返済していないなんて事も考えられます。
住宅金融公庫のゆとり返済というのもありました。当初5年間の返済額はそれ以降の約半分位に
設定されていたように記憶しています。この制度は92年位に制定され3.4年で廃止になった
ように記憶しています。購入時の負担を軽くして、5年後の所得アップを想定した制度だったのですが
たいがいの方は公庫と民間ローンを併せて利用していて、公庫ゆとり期間中で年間の返済比率が
当時の上限の40%近かったように記憶しています。
居住用財産の場合、自分が惚れ込んで購入したものなら、返済額が月々なんとか払えるようで
あれば、不動産価格が急落したところで、さみしい気持ちがするのは、いたしかたないとしても、
消去法による選択で購入した場合、事情は大きく変わってくるのではないかと思います。
総額を抑えるため、限界まで小さく区切った区画で、隣家との壁面距離が50cmあるかないか・・・
そういう物件は2005年現在でも、新規に発売されています。
需要があるから供給する。当たり前の事かもしれませんし、総額での価格が購入を決定するのに
最大の要素となるわけですが、VOL18 VOL19でご紹介したニューヨーク郊外の物件のような
理屈は、日本では通用しないのでしょうか?
なにか、ちょっと視点を変えると住宅購入における、新しい発見があるような気がします。
新しい発見とは? 次回に続く・・・・・よね。
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【編集後記】
前回のメルマガを読み直してみたら、1週間で発行する。と書いていたにも関わらず、ちょっと時間がたってしまいました。
組長さんは大変だ。ということ?いえいえ実は、事務所内マシンの設定を変更していたら、2番機のHDが壊れてしまい
自力復旧のため、なんとBIOSに勝負をかけたり、当然の事ながら、建築のお仕事もしていたからです。
★ご意見・ご質問・仕事の依頼等、些細なことでもメール下さい!必ずお返事します。
また取り上げてほしい題材等もお待ちしております。
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