とりとめもなく、土地の値段というタイトルで書いてきましたが、
住文化は地域のコミュニュティーがつくるもの、というのが私なりの結論です。
数回前に紹介したニューヨーク郊外のスカースデール村は売り物件情報ををyahooで検索するだけでも
住みやすさが伝わってくるところです。
http://www.scarsdalemura-kara.com/
上記サイトは、この村に住むキャッツ邦子さんがつくっています。
熊本出身で米国在住通算35年、PTA活動をきっかけに地域のコミュニュティー活動をはじめられた
方のようです。特に日本との比較について書いているわけではないのですが、行政との関わりも
全く違うように感じられました。 となりの芝生は青い。 のかもしれません。
私の住んでいるエリアでは約半世紀ちょっと前までは、家の上棟は大工棟梁の指示により、
ご近所の皆さんの人力で行われていたそうです。相互扶助の精神がなければ、生きてゆけない
時代だったのでしょう。
また農村地帯ということもあり、力仕事はお手のものだったのかもしれません。
古民家の再生という建築のジャンルが存在するのは、その存在が十分に魅力的である事の証明です。
太い梁や柱、黒光りする小屋組に魅了されるのは、地域のコミュニュティーでつくられた歴史も、
大きな要素となっていると思います。
外国の話や、昔の話に学ぶところは非常に多く感じます。それをいかに現実と結びつけてゆくか、
ということが大命題です。
現状における土地や建物は、様々な規制を受ける事により、秩序を維持しています。
規制による秩序が、法治国家であると考えられますが、高度成長時代の終焉とともに、
私自身も含め、多くの人々のライフスタイルが変わってきています。
地域住文化の確立には、お上から規制ではなく、小さい単位のコミュニュティーによる約束事が
が不可欠で、ご近所のことはご近所で決められる、ご近所独立国家的発想が住み良い住文化を
形成するのに有効なのではないかと考えています。
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【編集後記】
終戦記念日が近づくと、戦争中の記録番組が放送され、当時の日本の様子を映像で見ることができます。
昭和初期の日本人には、今とは違う生活上での価値観があったように感じます。それは時代の中で忘れ去ったのではなく、
DNAの中に封印されただけではないでしょうか?
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